新たなテニス環境開発の歩み  The step that created new tennis environment
     
  視覚・視力ハンディキャップテニス / サウンドテニスの 開発と競技設計

サウンドテニスは、視覚・視力ハンディキャップテニスの開発内容を 競技テニスとしてバージョンアップした内容に設計しています。
1988年、国内外初となった・・視力のない人達が空間に弾むボールを打球できる内容を <視覚ハンディキャップテニス> として、神奈川県ライトセンターの施設と隣接の神奈川県衛生研究所のテニスコートを 利用させて戴き、実施しました。

このテニス研究は、車椅子テニス普及の取り組みに続く1970年代後半から進め、最初の公開講習実施後、国立身体障害者リハビリテーションセンターや各地の会場で企画した総合講習や指導者講習の中で進めました。 
この競技開発の目的は、車椅子テニス環境づくりと同じに障害の有無にこだわらずに競い合うことの出来るスポーツ環境づくりが目的です。


全盲の人達が楽しめるスポーツとして、卓球や野球、バレーボールなどが既に具体化されていましたが、いずれのスポーツも平面上を動くボールを手やラケット、バットなどで打球する2次元スポーツです。 しかし、テニスは 高さの変化も伴う3次元スポーツです。
高さの変化は 視力のある人達でも空振りすることもあるテニスですから、全盲の人達が参加することは不可能と考えられてきました。

視覚ハンディキャップテニス 研究開発

テニスを楽しむための技術の大切さは誰でも理解していますが、しかし、視力のない人達にとっては ボールの位置が見えない難しさが加わります。
そのため、ボールの変化を見る視力のない人達の打球とボールの位置を確認するためには、音で補う方法を考えました。

硬式テニスのボールも パウンドした時に音を発生しますが、このボールの打球の速さは、プレイヤーの目や身体に当った場合を考えると・・
視力を失っている人達には特に危険です。 そのため 安全に楽しむための競技設計にスポンジボールを採用しました。

しかし、スポンジボールはバウンドさせても音が発生しません。 全盲や弱視の人達が初体験の講習会で安全な打球を優先してスポンジボールを使用しましたが、全盲の人達から・・音が聞こえると打ち易いとの感想があり、2回目の講習企画では スポンジボールの中に金属製の小さな鈴を埋め込みました。 こうした工夫から誕生したのがサウンドボールです。 
当初は金属製の鈴を採用し、その後、残響の多い盲人卓球用ボールに切り替えました。

    ボール2   ボール1

盲人卓球用ボールに切り替えた理由は、当時、盲人卓球は国際的にも広く進んでいたため、視力障害の人達が聞き慣れていた盲人卓球用ボールの音を活かしたいと考えて選定しています。 将来は新しい音源が開発される可能性があります。(※盲人卓球は サウンドテーブルテニスに改称)

こうしたボールの開発により、全盲の人達が安全にプレーし、対戦相手の打球位置を判断することが可能になりましたが、平面上を動くボールを競技方法とする2次元スポーツとは異なり、タテ方向、ヨコ方向に加え、ボールの高さの変化に対する工夫が必要です。
この問題解決に研究工夫した方法は・・ 重度障害の人達のテニス競技として設計した内容の 3バウンドルールの競技規定です。

国内外初となる 視覚視力ハンディキャップテニスの特別講習会は 様々な方面に理解と協力を求めて企画しました。

視力のない人達がテニスを理解する方法として・・ 最初に実施したプログラムは 硬式テニスのボールとラケット、硬式テニスコートを使用して、触覚と聴覚を活かしたテニス打球体験ですが 実際の打球は、テニススポーツの理解を深める上で役立ちました。

全盲の人達にラケットの振り方を紹介し、その振り方に合わせるようにコート上に弾ませたボールを打球できるように練習を繰り返すと、手に伝わる感触と独特の打球音が聞こえたときの受講者に笑顔が生まれました。 次に スポンジボールと小型ラケットを使用した打球体験を行いました。

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内外初の講習会場になった神奈川県ライトセンターに加え、横浜市立盲特別支援学校、国立身体障害者リハビリテーションセンターへとテニス内容の紹介と講習機会を広げ、指導者講習や総合講習プログラムとして、四国、関西、名古屋、東京等の各会場で紹介を進めました。

   
コート上で硬式テニスの打球体験 打球フォームの練習 特設コートで スポンジテニス練習


視覚ハンディキャップテニスの歩みの中で 事実と違う番組づくりを行い放送した民間放送がありました。
この放送内容を利用して このテニス内容の開発と競技経験もない人達が、名声を求め 広報活動を進める残念な動きがありました。 

このテニス競技誕生の歴史と内容を正しく調査もせず、テニス開発者の存在も確認することのない報道関係者によって、テニス経験のない全盲の青年が考え出したテニス競技とする捏造シナリオをつくり、放送しました。 世界に例のなかった 視力のない人達のテニス競技ですが このテニスを考案して人物として 武井君をテレビなどで紹介しましたが 彼は JHTF代表者が指導した講習会に参加した受講者のひとりです。 こうした事実を隠して 捏造番組をつくりました。 「 放送倫理 」BOPに反する行為です。



しかし、このテニス内容を開発したJHTFの代表者は 当時 放送内容の誤りを直ちに指摘せず 取材当時の状況を正しく理解するため 青年からの連絡を待ちました。 理由は、国立身体障害者リハビリテーションセンターで実施した当時の講習に参加した 彼の帰路を 毎回 ガイドヘルプしながら、会話を交わていた青年の真面目な性格を知っていたためです。 青年の名前は 武井実良君、 彼にテニス指導したのは JHTF(代表者・三宅)です。

このような経緯の中で 放送内容を聞き 信じられないと思ったのは 講習参加の受講者が 学んだテニス内容の考案者として紹介されたことです。
彼が悪意ある言動で 考案者は自分だと主張したとは考えらず 彼の話を聞いてから問題解決を図りたいと考えました。

しかし 連絡のない彼に電話したところ 「問題の誤った放送の事情については 後日説明します・・」 と 応え、更に2度目の連絡をしたときは 「今 外出しているので自宅に戻り次第にすぐに連絡します」 との返事を受け 彼の人柄を理解して 更に待つこと約2ヶ月間に電話はありませんでした。

連絡がなかった理由は 彼をヒーローにして海外への紹介を進めていた周囲の関係者が 視覚障害の人達のテニス競技開発を実際に進めた NPO団体との接触を避けようとしたのか・・・ または 真実とは違う内容で 有名人になっていることを 開発者であり このテニス競技を紹介した者への弁明に不安を感じていたことで 連絡が出来なかったのか・・・ 分かりません。 問題の関係者は 盲学校職員です。 名声を求めたのでしょうか? 残念です。

その後 不慮の転落事故によって 彼が他界したことをニュースで知りました。 このため 彼の説明機会は消えましたが 捏造放送内容の誤りを検証せずに 多くの報道が 全盲の人が考案したテニスとして様々な記事などで伝え続ける状況は 視力障害の人達に対する無理解を生むことになります。 


視力を失っている人達が楽しめるテニス内容の普及を進めることは良いことですが しかし、テニス経験のない視力障害者が 考案したとする誤った内容を 宣伝や名声づくりに利用する団体や人物の存在は 障害のある人達の正しいスポーツ環境づくりにはマイナスです。

テニスの長い歴史の中で 実現できなかった視力のない人達のテニス参加は・・ 多くの研究工夫の積み重ねから誕生したものです。
誤った言動は 新しいスポーツ開発を支援、協力してきた人達の信頼を失い、障害のある人達に対する偏見につながることを心配しています。


  

 有明テニスの森公園で開催した日本ハンディキャップテニス大会のエキシビションとして、視覚ハンディキャップテニスプレーを公開しました。
 このときに招待した全盲の小野さんと共に参加した武井君 (左図)です。 ふたりは 観戦していた人達が驚くほどのプレーを展開しました。

 
彼は優れたテニスプレイヤーですが 視覚ハンディキャップテニスの考案者ではなく 誤った紹介は、彼の人格を汚すことにつながります。
 視聴率を求めるために事実と異なる放送を行った関係者は許せませんが 彼を汚れたヒーローにしたくないとの思いは今も変わりません。


1990年、<第1回 視覚ハンディキャップテニス大会> を 国立身体障害者リハビリテーションセンター(室内)において開催しました。
大会前には、国立身体障害者リハビリテーションセンター関係者と共に 日本視覚ハンディキャップテニス協会 を創設しました。

センター関係者や視力障害の人達と協力して大会を運営、この大会の競技規定に適用した3パウンド後の打球まで有効とする競技方法は、1988年に開催した <第1回 日本ハンディキャップテニス大会> の重度障害の人達の ドミドウクラス (※1)競技として規定した内容に準じたものです。 

この大会については1994年以降、JHTFはその運営を現地関係者に委ね、協会活動からも離れましたが、その後、身障者スポーツとして開発した内容を 更に 競技設計を図り、新しい市民スポーツスタイルを備えたサウンドテニスを生み出しました。

サウンドテニスは、テニス経験豊かな視力のあるプレイヤーがアイマスク不要で力加減なしに全盲のプレイヤーとの対戦を可能にしたことです。
身障者スポーツとしての発展に加え、障害のある人達を障害のない人達と対等にテニス参加のできる競技世界を実現しました。



ブラインドテニスの名称で活動を進めている団体がありますが、ブラインドテニスは 視覚ハンディキャップテニスの名称を 改称したものです。
サウンドテニスと視覚ハンディキャップテニスは、ハンディキャップテニス研究協会
(※ JHTFクリエイト に改称)が 競技設計したテニスです。

競技開発当時、視覚ハンディキャップテニスは、横浜会場での講習を重ねた後、国立身体障害者リハビリテーションセンターに紹介を進めました。 
このテニスは 視覚障害者スポーツ部門の競技では IBSA(※視覚障害者スポーツの国際組織)規定の B1、B2、B3 に クラス区分して行います。
この区分方法には 「手動弁」 という障害が いずれの視覚障害クラスに該当するのか・・ の明確さに問題もあります。

サウンドテニスは 身障者スポーツの競技基準に関係なく・・ 視力レベルを 全盲、弱視、通常視力に分け 各視力状態に適した競技規定を設けており 同じ視力レベルの人達同士で競うことも 視力の違いや有無にこだわらずに競技対戦も可能な競技規定が設計されています。

サウンドテニスは ひとりひとりの視力レベルに対応し、弱視の人はその視力を活かしたプレーを また 通常視力の人はアイマスクを使用しないでプレーすることが可能なテニスです。 視力のある人達の競技力をすべてを引き出し 全盲の人と競い合えます。

こうした競技方法では 全盲の人と通常視力の人の対戦が不公平と感じる人達が数多いと思います。 
しかし 実際の競技対戦では 不公平など存在しないテニス競技の魅力に気づきます。 サウンドテニスは 視力障害の人達同士が競い合う身障者スポーツとして また 視力障害の人が通常視力の人と全力でゲームの出来る 新しい市民スポーツのひとつとして 開発されています。


( ※1 )このクラス名は、1977年に開催したワインカップテニストーナメント企画を最初に、1988年から継続開催した日本ハンディキャップテニス大会のクラス区分にも採用しています。 競技レベル別に クラス区分するときに、初心者クラスの人達が他のクラスと比較されてもコンプレックスを感じないクラス名を考え ワインの甘味で区分されるときに使用されています名称を 上級クラスや初級クラスの区分名に適用しました。

競技区分 大会クラス区分名 シャンパン(ワイン)の区別基準
 上級クラス  エキストラ・セック  extra sec  リキュールの甘味  3%が注入されたワイン
 中・上級クラス  セック  sec  リキュールの甘味  5%が注入されたワイン
 中級クラス  ドミセック  demi sec  リキュールの甘味  8%が注入されたワイン
 初級クラス  ドミ・ドウ  demi doux  リキュールの甘味 10%が注入されたワイン
当時の視覚障害の人達が参加したクラスは ドミ・ドウ クラスです


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