ENHファィル 被災地から発信 最初のレポート


1995年1月17日早朝のテレビ画面から,信じられない映像とニュースが飛び込んできました。
まさか・・その画面は燃え広がる神戸の情景を映し、ニュースキャスターが懸命に被害状況の深刻さを伝えていました。 
  
その放送情報を見聞きしながら、高齢者と障がいのある人達、病弱の人達の避難状況に最大の関心をもちました。
日頃のスポーツ開発や普及の主な対象者がこうした人達であったこと、また、この災害発生前に実施した各種の企画で、神戸や兵庫県内で知り合った多くの人達の安否に心が動きました。 今もって当時の力不足を悔やむことがあります。

テレビ画面が伝える被災地の悲惨な状況、倒壊した建物の多い地域の各所から火災が起きて広がる様子は、そのときの現場では正に地獄図のごとくであったかと思います。 火の手が迫る中で逃げ切れずに無念に命を落とされた人達の気持ちを忍ぶとき、災害現場に駆けつけて倒れた柱の一本も起こすことが出来なかった無力さは残念です。 当時、被災地域まで向かう費用がなく、支援物資も含めた資金づくりに10日近くもかかってしまいました。

この間、現地での緊急性の高い支援方法などを各報道機関の内容などを基にして想定しましたが、初期のけが人などの救出、救援が不可能であれば、次の二次支援は長期的なものになると判断し、可能な限りに被災地域の実情に即した支援内容を進めたく、最初に自分の目と耳、肌で確認することから現地活動をスタートしています。

  
大地震は一瞬にして建物を粉々に破壊してこの瓦礫となった建物の下で、多くの尊い命が消えました
  
命を救ってくれた周辺の人達にお礼の言葉を書き記して避難所に移った人達もおりました。
被災地から
最初のレポート

1995年1月27日
  被災地から
第2回レポート

1995年1月29日
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支援方法の工夫/支援活動への理解と協力



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